仁徳天皇 〜ガミガミ言われても無税を続けたすごい人〜
どんなに苦しい時にでも
税金は払って当たり前、って
思っていませんか?
実は…、国民の事を思って、
無税にした天皇がかつて
いることを知ってましたか?
知らずにいると、
「財源が足りないので、増税!」と
政府に言われると、無条件従うしか
なくなっちゃうかもです。
初等科國史「かまどの煙」
仁徳天皇は、深く民草をおいつくしみになりました。
不作の年が続いたころのことです。ある日、高殿にのぼって、遠く村里のようすをごらんになりますと、民家から煙一すじ立ちのぼらない有様です。天皇は、民草の苦しみのほどを深くお察しになって、三年の間、税をおさめなくてもよいことになさいました。ために、おそれ多くも、御生活はきわめて御不自由となり、宮居の垣はこわれ、御殿もかたむいて、戸のすきまから雨風が吹きこむほどになって行きましたが、天皇は、少しもおいといになりませんでした。こうして三年ののち、ふたたび高殿からごらんになると、今度は、かまどの煙が、朝もや夕もやのように、一面にたちこめています。天皇は、たいそうお喜びになって「朕すでに富めり」と仰せになりました。御恵みにうるおう民草は、今こそと宮居の御修理を願い出ましたが、天皇は、まだお聞きとどけになりません。さらに三年たって、始めてお許しが出ましたので、喜び勇んで民草は、老人も子どもも、日に夜をついで、宮居の御造営にはげみました。
天皇は、その後、池・溝・堤などを造って、農業をお進めになったり、橋をかけ道を開いて、交通の発達をおはかりになったりしました。こうして、御父天皇依頼二代の間に、多くの荒地は、瑞穂のそよぎわたる水田とかわり、米の産額が、いちじるしくふえました。今、堺にある御陵にお参りして、瓢型の御山を仰ぐにつけても、天皇の御聖徳のほどを、しみじみとおしのびすることができます。 (第二 大和の国原p26- 27)
高等科國史「④国力の充実」
応神天皇に次いで、仁徳天皇がお立ちになると、先ず都を難波に遷して(973)、半島と交通を便にし給い、大いに産業を興して、ひたすら国力の充実を図らせられた。
太平の御代にも、時に不作はまぬかれなかった。天皇は、御初世に於いて、かかる災厄に対し、前後六年間の租税を免じて、民力を回復せしめ給い、後、京及び畿内の各地に、治水や灌漑の施設をなさしめ、農業の新興を図らせられた。更に、弓月君の子孫である秦氏を諸国に配して、養蚕・紡織の普及に当らしめられ、又、橋や道路を設けて、交通・運輸の便を開かせ給うた。
かくて、民のかまどの煙は立ちこめ、荒地は変じて瑞穂打ち続く美田となり、都も鄙も、おさの音が響いて、衣料の供給も豊かになった。紀元一千年を迎えて、いよいよ栄えますこの大御代に、わが国力は、躍進の一途をたどったのである。 (p27)
教科書では絶対教えない偉人たちの日本史
仁徳天皇は「聖の帝」ともいわれています。中国では治水に成功した皇帝が聖帝と呼ばれますが、仁徳天皇は治水と灌漑に功績があっただけではありません。
仁徳天皇は日本の国体、国柄をつくった天皇なのです。「民の竈」がそれを物語ります。
仁徳天皇が即位して三年経ったときでした。仁徳天皇が高台から見渡すと、食事の支度時にもかかわらず、民の家からは煮炊きすれば出る炊煙が上っていません。仁徳天皇は炊煙が上がらないのは食べるものがなく、民が困窮しているからだと知ります。都のある畿内でさえこの様子なのだから、ましてや都から遠い畿外ではもっと窮乏しているだろうと思い巡らされ、これより三年間無税にすると決めました。減税ではありません。無税です。
その日から三年。宮殿は垣根が壊れてもそのまま放置され、萱屋根は葺き替えられず雨漏りがして衣服や夜具が濡れてしまうほどでした。仁徳天皇は宮殿のひどい状態に皇后からガミガミ言われ冷たい視線を投げかけられても、民から税をとりません。
ようやく、民の竈から炊煙が以前よりは多く立ち上るようになりました。全国から民が宮殿の修理を申し出ますが、仁徳天皇は断ります。断っただけではありません。さらに三年、無税としました。仁徳天皇は、民が一人残らず飢えなくなるまで、自分も耐えると決めたのです。
計六年ものあいだ無税とした仁徳天皇に、全国の民が今度こそはと「税金を受け取ってください」と押しかけます。日本最初のデモは「税金を受け取ってください」でした。(p26-27)
和ORLD(ワールド) 令和元年(2019年)創刊 vol01 Autumn
ある夕方、天皇が高殿から周囲を見渡していると、煙が棚引いていないことに気づき、顔を曇らしたのだった。
「竈から炊煙が上がらないのは、民に炊く米が無いからだ。豊かになるまで3年間、税と労役を課すな」
重臣にそう命じ、自らも古着のままで過ごし、宮殿の屋根などの破れも修繕せず、衣服を風雨で濡らし、破れた隙間から星が見れるなど、涙ぐましい倹約に励む。3年後、天候は回復。豊作となり、天皇が高殿から望むと、炊煙が盛んに立っており、「朕は既に富んだ」と語ると、共に高殿にいた皇后は訝しげに訪ねた。「宮垣が崩れ、屋根が破れて、雨風で衣服も濡れるのに、どうして富んだと仰られるのでしょうか?」と。
天皇は「天が君を立てるのは、民の為だ。君は民を本とする。だから古の聖の君は、1人でも飢え凍える時は、省みて自分を責めた。民が貧しければ君も貧しく、民が富めば君も富んだことになる」と答えた。
その頃「3年も税が許され、宮殿が朽ち破れているのに、民は富んでいるので、税を献じ、宮殿も修理させて頂かないと天罰を蒙ります」との申し出が、諸国から寄せられた。それでも帝はさらに3年間、税や労役を免ずる政策を続けた。
ようやく帝が宮殿修理を許されたのは、6年の歳月が経ってから。人々は命令されないのに材木を運び、土を入れた籠を背負って宮殿に駆けつけ、日夜を厭わず喜び勇んで作業に勤しみ、瞬く間に宮殿の修理が成った。後の世に「民の竈」や「竈の煙」と伝えられ、生涯を通じて仁政を敷いた「聖帝」と称えられたのだった。
エジプトのピラミッドは「死後も王と王族だけ幸せでいたい」と民に造らせ、秦の始皇帝陵もそうだった。為政者が自分よりも民を優先し、6年間も免税を続けたエピソードは世界に類例がない。
編集後記
ぼくも1年前は仁徳天皇を全然知らないレベルでした。
日本とユダヤのお話会に参加してくれた人に、
「好きな天皇、尊敬する天皇いますか?」
(し〜ん)
今回書いた、「竈の煙」の話をした後に
「仁徳天皇を好きになっちゃった人?」
って聞くと、「はい!」って、
全員、手があがる笑
知るって大事ですね!
そして、ずっっっっっと書きたかったのが
やっと書けた。
何が書きたかったかというと、
「皇后にガミガミ言われてたけどやり続けた!」
ってところ!!
天皇でさえ、ガミガミ言われても
6年間も無税を続けたんだから、
自分がチクチク言われるぐらいで
心折れないでがんばろう!と思ってます、って
いう根拠をここに残したいと思ったから。
仁徳天皇、すごいなぁ〜
まずは、日本人全員、知ってほしいなぁ〜
政治家、見習ってほしいなぁ〜
Comment
笑
なんだろう……
いつも以上にじんさんの念いを感じますね
仁徳天皇も人生さんも…凄いなーとおもいつつ、やはり奥様方あってというのも忘れてはならないなーと…
その人だけでなくその人の周りの人にも感謝だなと念いました。
心から民を念う気持ちが伝わってくるエピソードでした。
そしてその民が豊かに暮らしていることこそが自分自身の豊かさだなんて。
奥さんだけでなく、周りから相当なバッシングを受けただろうな。
この6年間があったから豊かさがそれ以前より増してる。
長い目で見ていたのだろうな。
今の政治はどうかなぁ。
私達はすぐ目の前に迫ってきた障害物をどかしながら車を走らせてる感じ。
ゴールは見えてないし、燃料があとどの位持つのかも分からず運転してる。
税金を払う、上がっていく事に疑問を持つきっかけになりました。
この話去年聞いた時、天皇のことすら興味なかったのに、仁徳天皇の話を聞いたら、ファンになって手を挙げた一人です。
すごいな、こんな人が国を、国民のことを念ってくれているのを知ると、今の増税が本当におかしすぎると見方が変わる
知ると知らないとでは本当違う。
教育でこうまで違うか、、、切られてしまったのが日々、わかってきています。
だから本当まず知るところから、天皇からでも知って欲しいから動きます!
どの天皇が好きですか?の質問に、どういうこと?と思っていましたが、今なら「仁徳天皇好きです』と言えます。
この仁徳天皇のことすらも学校では教えてもらった記憶がなく、薄い歴史の授業だったなと思い出していました。
もっと歴史に特化した勉強をすれば、忘れずにこんなすごい天皇がいたんだなって念いますが、それすらもしないまま生きてきた自分が
恥ずかしいです。日本の歴史のことぐらい知って伝えていくことが大切だと念いました。
そして、今の日本は増税!と言っているのが、すごく悲しいです。6年も無税にした天皇がいたことを広めていく!
歴史を知り、情報を知り、共有できる仲間を増やしていきます。
このストーリー一つでもしると、日本人に生まれてよかったとか誇りに思えるようにもなるな。
夢中で読めてしまう。
民と君が同じだなんて、すごい嬉しいよな。
どんな事があっても、、、ひとりじゃないという確信が持てる。