神と富
感想
新約聖書らしさがここに出てるかなぁ。
旧約聖書をベースにする人は考え方が違うかも?
ふと、仏教も学びたくなりました。
時間とれるときに、調べてみたい分野です。
今の世界に大きく影響を与えている箇所な気がしてます。
神と富(マタイ6.24)
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
「不正な管理人」のたとえ(ルカ16.1-13)
イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。 そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 また別の人には、『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。 だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。 また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
効果
読んだ人、聖書に詳しい人教えてください〜
Comment
週末にミサがあるのって、わからない事を気軽に聞けたりもするからかなーと思いました。だってこれ、よくわからなかったんだもんなぁ。
両立しないの?!
2つあればどちらにも良き悪しはあるもので
その時点で両方に仕えるということができないですよね。
バランスよくとは言いますが、、これまた考えさせられる内容です。
聖書の内容に触れたのがこのブログが初めてなので
毎回集中力と私の頭に存在しない概念というか捉え方がとても新鮮です♪
ありがとうございます!
賢く生きなさい。
色んなやり方、アイデア、があると言う事なんでしょうか?
よくわかりません。
2人の主人に仕える事はできないって、出来ないのかなぁ?
やり方次第ではできそうだけど・・・
それも主人しだいでは?とも思いますね〜
主人が、その召使いのことを信用するかどうかの問題ですかね。
1人の主人に仕えてる召使のほうが、2人に仕えてる召使より信用できるということ?
聖書を読んで理解できるようになったら、
考え方の視野が広がりますね!